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ワーホリ、離島、自転車、沢登り、雪山登山…旅大好き人間の提供する旅ブログ

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<基本情報>トカラ列島とは?

「トカラ列島」とは、鹿児島県鹿児島郡十島村のことです。

場所は鹿児島県の屋久島と奄美大島の間。
南北162kmに連なり、7つの有人島と5つの無人島、合計12の島々からなっています。

それぞれの有人島の名前は北から

  • 口之島(くちのしま)
  • 中之島(なかのしま)
  • 平島(たいらじま)
  • 諏訪之瀬島(すわのせじま)
  • 悪石島(あくせきじま)
  • 小宝島(こだからじま)
  • 宝島(たからじま)

であり、

無人島は

  • 臥蛇島(がじゃじま)
  • 小臥蛇島(こがじゃじま)
  • 小島(こじま)
  • 上ノ根島(かみのねしま)
  • 横当島(よこあてじま)

となっています。

人口は2008年10月30日の記録によると、全島あわせて620人。
もっとも人口の少ない諏訪之瀬島の人口は49人です。

そして、この島々に行くための交通手段は
多くの他の離島と同様、フェリーしかありません。

なお、そのフェリーは鹿児島港から週に2便のみ運行されています。

トカラ列島とは、とても小さく、遠い、そんな島々です。
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| トカラ列島 | 11:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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<基本情報>トカラ列島へのアクセス

トカラ列島はとても魅力的な島です。
では、実際にトカラ列島に行きたい場合はどうすればいいのでしょうか?

幸いなことに答えは1つしかありません。

  • 「鹿児島港」から「フェリーとしま」に乗っていく。

それだけです。


さて、2008年現在、フェリーとしまの運行スケジュールは以下のとおりです。

フェリー運行スケジュール1

なお、(カッコ)内の運行は夏期などの繁忙期のみ臨時に行われます。


各島へのアクセス時間は以下のとおりです。

フェリー運行スケジュール1



また、各島へのアクセス料金は以下のようになっています。

フェリー運行スケジュール1


ちょっとわかりづらいですが、
どの島に行くにしても鹿児島港から行こうと思ったら、前日の夜に乗船し、
翌日の朝に目的地に着くというスケジュールになっています。

ちなみに、鹿児島空港から鹿児島港までは高速バスでおよそ1時間ですので、
羽田空港から鹿児島空港への最終フライトに乗ってもフェリーには間に合います。

ただし、注意しなければならないことが!
それは、天候しだいではフェリーが欠航になることもある! ということです。

詳しいフェリーの運行情報は、
十島村公式ホームページのフェリーとしま運行状況
をご覧ください。

| トカラ列島 | 12:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島という日本

 私たちが暮らしている日本には、
限られた人にしか見ることのできない横顔が想像以上にたくさん隠されている。
たとえば、トカラ列島もその一つだ。
「トカラ」と聞いて、人々は何を連想するだろう。
おそらく、どこか遠い異国というイメージを持つのではないだろうか。
しかし、トカラ列島とは紛れもない日本の地名である。
鹿児島県の屋久島と奄美大島の間に連なる12の小さなちいさな島々のことをこう呼ぶのだ。

 私は2007年の春にひょんなことからこの列島のうち、「宝島」と「中之島」という島を訪れた。
この列島は全体を十島村というのだが、その人口はわずか600人余(有人島全7島合計)で、
一番人口の多い中之島でも150人ほど、最も小さな小宝島にいたっては40人ほどという数字である。
更に、列島へのアクセスは週2便(月曜日と金曜日)のフェリーのみに限られているという、
まさしく真の離島である。

 真夜中に鹿児島港を出港した「フェリーとしま」は、翌日の7時頃、中之島へ着岸した。
通船作業を行うのは島の人々である。作業が終わったらフェリーはすぐに次の島へと向かう。
人間の運搬などは「ついで」であり、第一に生活のためのフェリーである、ということがよくわかった。
この時私を一日だけ居候させてくれたTさんの家は島の高原に家を構えていた。
この島には3つの集落があり、海岸に2集落、そして標高250mほどの高原に1集落ある。

 コバルトブルーの海、ジャングル、山(979m)、温泉、
そしてトカラウマ(天然記念物)の駆ける高原のあるこの島は、狭いながらも素晴らしい自然を秘めている。
この日、Tさんにはドラム缶に詰めたガソリンの配達(島にガソリンスタンドはない)や、パパイヤの収穫、
ワラビ摘み、さらには野生のトカラヤギ(固有種)の捕獲まで手伝わされ、
都市部とはかけ離れた作業と時間の流れを味わうこととなった。

 Tさんは農家なのだが、畑といっても自然に同化しているような半自然的な畑も持っているし、
防風ネットを張り巡らせたきれいな畑も持っている。
そして山菜やキノコを採り、時にはヤギを捕まえ、通船作業やゴミ収集・焼却などの仕事も行っている。
コンビニも食堂もない離島で生きるための知恵をたくさん持っているのだ。
もちろんこうした生活を送っているのはTさんだけではなく、大部分の島民も同様である。
人口流出・高齢化・産業不足…。他の農村と同様の問題に頭を抱えている離島である。
生活は厳しい。
しかし、現在でも隔世の感のあるこの島々は、古くもそうであったがゆえに、独特の自然と文化を育んできた。
七島正月、悪石島の仮面神ボゼなどである。

 また、トカラは温帯から亜熱帯へと気候の移行する地点に位置し、
文化的にもヤマト(本土)と琉球(沖縄)、更には東南アジアとの交流点でもあった。
現在も、過去も、この島々にはユニークな自然と文化が継承されているのである。

 環境や農への関心が高まっている昨今、
今まで目を向けられなかった伝統文化や伝統料理(スローライフ・スローフード)にも
人々の目が集まるようになってきた。
トカラ列島は先述のような特異性を持ちながらも、知名度が極めて低い地域である。
このことは、未だに掘り起こされていない伝統作物や伝統文化を秘めている可能性を意味している。

 そして、強い海流に挟まれ、台風の襲撃に耐えてきたトカラ列島の人々が持つ知恵は、
私たちのこれからの生き方にヒントと疑問を投げかけてくれる。
今の時代だからこそ輝く、トカラ列島の価値がそこにみえる。
日本にもそんな場所があるのだ。限られた人にしか見ることのできない、そんな場所はまだまだある。

| トカラ列島 | 20:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島・中之島紀行記(1)

このブログでもすでに何度か紹介している「トカラ列島」。
今でこそ「知る人ぞ知る」離島ですが、実は、来年の夏には世界中で有名になります。

 というのも、今世紀最大の皆既日食が観測できる、最高のスポットだからです。
そんなトカラ列島とぼくが初めて出会ったのは去年の春のこと。

 初めてトカラ列島の中之島を訪ねたときに書いた紀行文を、
何回かに分けて掲載しようと思います。


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(1)

 鹿児島県十島村。
それは奄美大島と屋久島の間に点在し、

トカラ(吐?喇)列島と呼ばれる大小7つの有人島からなる離島の村である。
知名度は極めて低く、アクセスは鹿児島と名瀬から週に各2便ずつ出航するフェリーのみ。

そのフェリーも天候が悪ければ簡単に欠航となるうえ、
鹿児島から最も近い口之島まで行くのにも海上で一泊しなければならない。
まさに秘境の名をほしいままにするかのような村である。

 そんな村の中心地、それが中之島だ。
中心地といってもそこは小さなちいさなトカラ列島の一部に過ぎない。
人口・面積ともに一番ではあるが、人口は180人程度、面積は34k?、周囲も32kmしかない。

 では一体、そのような地域での生活とはどのようなものなのだろうか。
この紀行記では、
私を1日だけ「手伝い」として受け入れてくださった一島民の方と過ごした一日を紹介すると共に、
この島に秘められた可能性と課題を示したいと思う。

 なお、記述した内容は主に平成19年3月17日から18日の間に現地で実際に見たもの、
聞いたことを元にしたものであるため、中には間違いも有り得ることをご了承ください。




 3月16日の23時50分に鹿児島港を出航した「フェリーとしま」は
翌朝7時頃に中之島港に着岸した。

私を受け入れてくださる方とはお互い面識はない。
鹿児島市内のNPOの方に紹介された手がかりは

「Tさんという方が船の荷降ろし作業(通船)に来ているはずだから、港で会えるだろう」

ということだけだった。

普通ならば名前と共に携帯電話の番号も教えてもらうところだが、トカラにある電波はNTTのみ。
私のauの電話では電話番号を知っていたところで連絡のとりようもなかった。

そこで下船した私は十島村唯一の警察官にTさんを
紹介してもらい、そこで無事に出会うことができた。
中肉中背よりやや小柄で、立派な口ひげをたくわえた50代の方がTさんであった。

 3月といえば他の南西諸島同様、トカラ列島にもぐずついた天気が続きやすい。
この日も中之島の空はどんよりとしており、雨が降っていた。
外にいると濡れてしまうので、Tさんの作業が終わるまで先に軽トラの中で待機する。

小さな村ではフェリーからの物資を運送する専門家などいないので、
フェリーの来る日はTさんのように島民が大勢手伝いに来て、
普段は人気のない港にも活気があふれる。
巨大なフェリーを係留するのも農家の人だったり、漁家の人だったりするのだ。

フェリーは荷降ろしの終了と同時に出航。
いつ来るのかもいつ出るのかも時刻表通りではない。
まさに生活のための船であり、決して観光客のためのものではないという印象だ。

 フェリーが汽笛を上げる頃にようやくTさんと改めて挨拶。
途中で知り合いと話し込んだり(といっても島民全員が知り合いだが)、
役所に行ったりしながら家へと向かう。
それにしてもこの島、港から見ると海辺にしか人は住めそうにないのに、
車はどんどんと山の中へと走っていく。

道路の脇にはジャングルが広がっている。
一体どんなところに住んでいるのだろうか。
不思議に思いながら車に揺られていく。

そして山を登って10分もしないうちに開けた場所に出た。
なんとそこには小さな島の中とは思えない高原が広がっていたのだ。
真に水色を湛える海に浮かぶ島の中、
その高原に放牧されているトカラ馬(天然記念物)や黒毛牛、
そしてかすかに噴煙を上げる列島最高峰の御岳(979m)に手付かずのジャングル。

なんと美しい島なのだろう。
私は一目でこの島に惚れ込んでしまった。

(つづく)

| トカラ列島 | 09:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島・中之島紀行記(2)

(2)

 そんな光景に見とれていると、ようやく家に到着した。
小奇麗な平屋で、一応民宿として使えるようになっているとのこと。
この家の一部屋を与えられ、荷物を置いて一休みした後、まずは朝ごはんを準備する。
準備といってもTさんにはあらかじめ自炊してくれよ、
と言われていたので鹿児島で購入しておいたインスタントラーメンを煮るだけだ。

食事後もなんだかノンビリとしているので、この後どうするのか心配だったが、
しばらくして仕事についていくことになった。

 港に向かう途中で車を軽トラから2tトラックに乗り換える。
出かける前に「パパイヤもぐか」と言われていたので軽トラに積みきれないほど収穫するのだろうか、
と不審に感じていたが、乗り換えた理由は港に着いてからようやくわかった。

先ほどフェリーから降ろしたガソリン入りのドラム缶を運ぶのに必要だったのだ。
当然、島内にはガソリンスタンドはないので、このようにドラム缶ごと仕入れているらしい。

港に置いてあるドラム缶は5つ。
そのうち宛先のよくわからない1缶だけを残して、
他の4缶は豪快に横に倒して転がしながらトラックに積んでゆく。

トラックは荷台の後ろの囲いがエレベーターになる優れものだ。
私はそのエレベーターを上下に作動させるという実に地味な作業をした。
そして、それらを各家庭へと運ぶ。
指定された場所にドラム缶を立てるのも一仕事だ。

どうやら積極的な島民は様々な雑務を掛け持ちしているようだ。
最後に自宅にドラム缶を置き、作業終了。

 それから、鹿児島にいた時から噂を聞いていた
Iターン者である農大OBのYさんに会うためにスクーターを借り、一人で歴史民族館へ。

割と長身で立派な口ひげと顎ひげをたくわえているのですぐにわかった。
色々と話を伺いたかったのだが、今は観光客のガイドをしているので話せないとのこと。
仕方ないので館内を見学する。

立派な標本やビデオなどがたくさんあり、なかなか飽きさせない。
やはりトカラの文化は大和のものでも琉球のものでもない独自のものといえる。
特に悪石島にだけ伝わる「仮面神ボゼ」は完全に日本離れしており、
どちらかというと東南アジアを彷彿とさせる。

 また、農作業で使う器具にも著しい特徴がある。
それは7つの有人島ごとに異なった地域の器具を使用していたということだ。
それも東南アジアの農機具のものである。

ここにトカラが歴史には全く姿を見せないものの、実は琉球王朝とはまた別個の交易国であり、
アジアの文化交流の架け橋となっていたのではないかという想像が生まれる。

 その他、二つの島の盆踊りの映像を見たりして過ごす。
ちなみに仮面神ボゼは悪石島の盆踊りの最後に登場し、
マラ棒と呼ばれる棒で人々をつついたり、追い掛け回したりして人々を驚かせていた。

(つづく)

| トカラ列島 | 10:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島・中之島紀行記(3)

(3)

 家に戻った後、やはりインスタントラーメンを食べてゆっくりとしてからようやく農園へ。
途中でYさんと同様、鹿児島で噂を聞いていたIターン者である農大OGのSさんに会う。
結構若いのに変わった方で、郵便局の仕事をしながらトカラ馬の世話をしているらしい。
今度鹿児島大学にいるトカラ馬をもらうので、そのためにどこかの山を開拓しているとのこと。

 さて、Tさんは村から広い土地を借りているので、自ら開拓をして農地を広げていた。
そこではタンカンやパパイヤ、島バナナなどを栽培していたが、
農園というよりはほとんど自然のままであった。
事実、手入れはほとんど必要ないらしい。

更に、そこは農園だけに利用しているわけではなかった。
原生林をうまく利用して自然公園を作りたい、ガジュマルなんかは自然のジャングルジムになる、と言っていた。確かに森林学者に見せたらビックリしてしまうような巨樹や多種多様な植物が繁茂している。
わざわざ植物を植えるまでもなく立派な公園になりそうだ。

また、廃屋のリフォームや、ガジュマルを利用したスカイデッキの製作途中の様子も見せてくれた。
ガジュマルの曲がった部分にスギの木を寝かせて素材をそのまま活かしている様子に関心。
いずれは廃屋を中心に全てのスカイデッキに橋をかけたいとのことだった。
Tさんは私に様々な説明をしながら大きなキクラゲをとっていた。

 そうした話を聞いた後、農園で「日陰だからあまり甘くならないんだ」と言いながらとってくれた
タンカンを食べながら果樹や巨大なクワズイモに見入る。
すると遠くで「おい!」と呼ぶ声がした。
農道にもなっていない踏み跡をたどっていくと何やら焦っている様子のTさんがいる。
まだ何も植えてはいないが、自分の農地にヤギが入り込んでいるとのこと。

トカラ列島ではトカラヤギという野生化したヤギが増えすぎており、
作物に深刻な被害を与える要因になっている。
試験的に植えたランの芽など一つ残らず食べられたこともあると言われた。

そんなヤギが農地を囲った柵を突き抜けて侵入していたのだ。
「ヤギ捕まえたことあるか?」と言われ、戸惑いながらも急遽ヤギを追いかけることに。
しかしヤギの捕まえ方など知らないので、とりあえず言われるがまま挟み撃ちになるように走り回る。
結局、2頭のうち1頭をTさんが見事に生け捕りにした。

それほど獰猛ではないため角をつかんでいれば逃がさずにすむようだ。
「今夜の食事はヤギ汁かなぁ、あまり好きではないんだけど。」
などと考えながらTさんがロープを取って戻ってくるまでヤギを押さえつける。

なんて島だ。と思い、日本にもこんな場所があるのだと衝撃を受ける。
結果的にヤギは他の人に渡されたが、もらった人はやはり食べるつもりとのこと。

Tさんはヤギが増えすぎて困ってはいるが、相手にも生きる権利はある。共生していきたい。と語っていた。
とはいってもある程度は捕まえなければ本当に島はヤギだらけになってしまう。
トカラのある無人島ではヤギやシカが増えすぎて貴重な生態系を破壊しつつある。
中之島では時々ヤギを捕まえているので比較的バランスのとれた島だと感じた。

 ここでトカラヤギについて詳しく説明してみよう。
このヤギは名前に「トカラ」とつくように、トカラ列島固有の亜種である。
純粋なトカラヤギは三毛猫のような毛色をしているらしいが、
現在ではザーネン種との交雑が進み、純粋なトカラヤギは存在しない。

元来は食用として利用されていたのだが、時代の流れと共に食べられなくなり、
結果として牧場から逃げ出したヤギが野放しにされている。
ヤギの場合はどんな島でも食べるのに困ることはないし、
天敵もいないため、すき放題に増殖しているというわけだ。

トカラの農業ではまずヤギの食害を考慮しなければならない。
今も昔も、学者がヤギの有用利用について考えてはいるが現段階では最良の利用方法は見つかっていない。
このまま利用価値が見出されないようならば、
本州で行われているクマの有害駆除や「お仕置き」に準じた方策がとられなければならないと感じる。

(つづく)

| トカラ列島 | 09:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島・中之島紀行記(4)

 18日の夜に出発し、19~20の間、上信越の茂倉谷という沢に行ってきた。
19日は大雨で大増水となって、やむなくもなにもなく、撤退。散々な休日となった。
そちらのレポートは後日にし、引き続き、中之島紀行記の続きを掲載しようと思う。

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(4)

 とりあえずヤギをロープで縛りつけ、パパイヤを収穫する。
初めての体験なので、ぼとぼとと実を落としてしまう。
1つのカゴいっぱいに入れた後、農園から少し移動。

今度はワラビを摘むらしい。
山菜採りに慣れた人ならすぐ両手いっぱいになるような場所だったが、
私は片手に持てる程度しか見つけられなかった。
もちろん、Tさんは両手に抱えきれないくらい摘んでいた。

遠くに何故か七面鳥がいた。
この島にはイタチがいるので合鴨などは襲われてしまうが、
さすがに七面鳥までは襲われないのでペットとして飼っているらしい。

まだ時間に余裕があったため、海へ案内してくれることになった。
知っている人でも見落としてしまうような細い道が竹やぶの中にあった。
当然、Tさんが拓いた道だろう。

食用にするとたいへん美味なリュウキュウチク(別名ダイミョウチク)の竹やぶである。
幸運にもこの道の途中で何十年に一度しか咲かない竹の花に出会うことができた。

 道はどんどんと続いている。
本当にこんな山の中から海に出られるのだろうかと心配になってしまうくらいだ。

しかし視界は突然開いた。

そこには荒々しい崖の上に広がる原っぱだった。
海は日本のものでも沖縄のものでもない独特の色をしている。
本当の水色という言葉があっているかと思う。
この海にはマンタやウミガメなど、ダイバー垂涎の生物がウヨウヨいる。
更に、ここからだと火山活動と琉球石灰岩で構成された島であることがよくわかった。

 ダイナミックな光景を見たあとは集落のほうへと車を下らせていく。次はビワの畑である。
トカラはビワの生産に最も適した気候であるらしく、
市場ではすでに「トカラのビワ」の名は通っているとのこと。
キロ単価は忘れてしまったが、かなりの高額で取引されているようだ。

1つだけ食べさせてもらったが、やはりまだ甘くはない。
糖度10%くらいだろうと言っていた。

しかしながら、ビワの世話はとても大変な作業らしく、一年中何かしらしなければならない。
ビワの世話が一番援農を必要とするらしいが、
逆に収穫はちょっとでも果実に傷をつけると(産毛がとれると)商品価値がなくなってしまうので、
あまり他の人に触らせたくないようだ。

 日も暮れだす頃となったので、下の集落の温泉へ行くことに。
上の集落の人があまり早く入ると人間関係に支障をきたすらしいので、
島に暮らすにも色々な苦労があるのだろうなと感じた。

トカラの島々は火山性なのでほとんどの島に温泉がある。
この中之島の場合はイオウ温泉と塩温泉があり、この日私たちはイオウ温泉に入った。

温泉の中ももちろん知り合いしかいないので、Tさんたちは楽しそうだった。
こういう状況は東京に住んでいる者にとってはうらやましい。

無論、そのぶん自分の行動は島中に筒抜けなのだが。

泉質がいいらしく、上がった後はずいぶんと体がポカポカとしていた。
海岸沿いにある温泉なので潮風が心地よい。

防波堤に登るハシゴがあったので、そこに登って水平線に沈んでゆく夕日を眺める。
「昼間で降っていた雨はいつの間にやんでいたのだな」
と思いながら気持ちのいい空を仰いでいると、
法事に行くために先に上がっていたTさんが軽トラで迎えに来てくれた。

(つづく)

| トカラ列島 | 23:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島・中之島紀行記(5)

(5)

 家に戻ると立派な料理が用意されていた。
ずっとラーメンじゃ可哀想だろうとTさんが仕出しを頼んでくれていたのだ。
食堂のない代わりに村の人が家にある食材を使って料理をつくる手伝いがあるようだ。

中之島に着いてからようやく普通の食事をすることができ、ありがたい。
ごはんも炊いていたので満足である。
ちなみに、現在の中之島では水稲栽培は行われておらず、その代わりに田イモを植えていた。
この島は米以外は物資が来なくなっても問題なく生活できる島といえる。

 ある程度食事が落ち着いた頃にYさんが訪れたので、私も時々混ざりながら様々な話をする。
内容の多くは後に書かれている農業についてのことである。

他に、飼い殺し状態のトカラ馬の問題や、村に派遣されてきた職員の問題、
観光客への島の案内の仕方など色々話していた。

要約してしまえば、様々な問題と可能性は表裏一体の紙一重であるといえるかと思う。

農業以外で特に深刻な問題は天然記念物であるトカラ馬の利用の仕方である。
現在ではただ飼育されているだけで、何の役にも立ってはいない。
このままだったら絶滅させたほうが馬のためだとか、
天然記念物指定になっている故の不幸だ、という意見まであった。

過激な意見と思われるかもしれないが、間違いではない。
やはり前向きに乗馬用に訓練するとか、
竹富島の水牛車のように利用するとか考えなければならないと思う。

だが、そうした判断は結局、飼育者に委ねられているのであって、
天然記念物とはいえ村も国もほとんど口を出している様子はない。
なにか行政の怠慢を目の当たりにしたような気分であった。

 翌日目覚めるとすでにTさんは仕事に行っており、家の中は空っぽだった。
スクーターを拝借してまだ見ていない部分を回ってみたが、
意外と道が複雑にできているので、全てを見ることはできなかった。

この日の収穫といえば、集落の中に巨大なガジュマルを発見したことと、
御岳の中腹から島を眺めたことくらいのものだった。

集落の中のガジュマルはこの島ではまだまだ小さい方である。
山の中に入ったらどんなに巨大なガジュマルがあるのか想像がつかない。

船が出港する時間まで十分に余裕を持って行動していたつもりだったのだが、
私はこの島のフェリーが定刻通りに出発するわけがないことをすっかり忘れてしまっていた。
島の人はちゃんと島内放送を聞いているのだが、ヨソ者の私は何も知らずにのんきに島を走っていた。

すると港にフェリーが停泊しているではないか。
嫌な予感がして急いで港まで走る。
Tさんが急げ急げと促している。

船はすでに全ての乗客を乗せ、タラップをはずし、ランプウェイ(車の乗り入れ口)も閉まりかけていた。
もちろん人間の入り口は閉まっている。

本当ならYさんに名刺をもらって二人に名残を惜しみながら去っていくはずだったのに、
文字通り船に「飛び乗る」ことになってしまった。

このフェリーを逃したら次に来るのは2日後である。
なんとも味気のない別れ方をしたことをTさんとYさんに、
そして飛び乗らせてくれた船員に、謝罪と感謝の気持ちを伝えたい。
幸い船の人は優しかったし、もう4度目の乗船で船員の顔も知っていたのが救いだった。

(つづく)

| トカラ列島 | 10:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トカラ列島・中之島紀行記(6)

(6)

 最後に十島村の主産業である農業について簡単に説明しよう。
十島村は亜熱帯と温帯の混ざり合った場所に位置するため、様々な作物を生産することができる。
ただし、中之島の農園のように高地で栽培する場合には霜の害もあるため、
沖縄の作物がそのまま育つというわけでもない。

また、奄美や沖縄から作物の苗を持ち込むことは禁止されているので、自然と生産物は限られてくる。
そんな中で現在最も盛んなのが、黒毛牛の放牧と、
ビワ、観葉植物のサンセベリア(トラノオ)の露地栽培である。

なかでも黒毛牛は年間を通して放牧なので手間がかからないうえ、
すでに一千万農家が何人か出ているという。

また、最近人気の出だした島バナナも主要な生産物と言えるかと思う。
島バナナは高く売れる上、栽培も簡単ではあるが、一度台風がきたら全てダメになってしまうし、
かといって冬に結果してくれるわけではないので、なかなか思うようにいかないようだ。

ビワも高く売れても痛みやすいのが問題のようだ。
なんといってもここは離島である。
市場へ出すにも輸送費と時間がかかってしまうので、痛みやすいのは大きな問題だ。

様々な制約のため、結局は地産地消となり利益は増えていかない。
島の存続のためにはIターン誘致が重要課題となるだけに、
強い魅力のない農業をいつまでも続けていくわけにはいかないだろう。

とはいっても可能性は無尽蔵にあるのではないかと思う。
というのも、この十島村にはトカラ列島ならではのものが山のようにあるからだ。

トカラ馬、トカラマイマイ、トカラヤギ、アカヒゲ(鳥)、トカラ亜種のツワブキ、ガクアジサイ、タンカンなどなど。

今回の見学では作物に関して詳しく知ることはできなかったが、
未だに発見されていないトカラ亜種の作物はまだまだ眠っているはずだ。
それほどにこの列島の山は深い。

また中之島に関しては、亜熱帯と温帯、それに高原、さらに年間を通じて絶えない豊富な水がある。
島固有のものを対外的に売り込んでいくことが最良であり、間違いのない方法だとは思うが、
こうした好条件を利用すれば新しい作物を導入することもできるだろう。

現在Tさんたちが挑戦しようとしていることはリュウキュウチクと芋焼酎の生産だ。
たけのこ山はすでに諏訪瀬島では成功を収めている。
それに対し、中之島ではたけのこ山の外側のたけのこを摘むていどにしか行われていない。

竹林は人が入れば入るほどたけのこを生むわけで、何もせず放っておいたらみるみる荒廃していくという。
だが1つの島だけでは短期間しか出荷することはできない。
島ごとにたけのこの時期がずれているのだから、
村全体でリュウキュウチクを生産すれば長期間出荷でき、産業になるというのだ。
しかし、それも「島根性」によって島間の協力がなかなか成立しないために話は進んでいかない。

また、芋焼酎に関しては美味しい芋と美味しい水があれば絶対に美味しい芋焼酎ができるはず、
ということだった。

確かにトカラ列島では芋焼酎の生産は行われていない割によく飲まれている。
たとえ他の地域に出荷できるほど作れなくても地産地消に繋がれば無駄な出費が減ると言っていた。
確かにその通りである。

十島村は「沈みゆく島」とも言われる。
このまま村がなくなっても、ほとんどの人には関係のないことかもしれない。

しかし、農業に限らずこの村には様々な可能性が眠っているし、第一、人が暮らしているのである。
誰も知らない場所でも、そこにはそこの暮らしがあるのだ。

「なんとかこの島を‘浮上’させなければ。」
何度もNPOトカラインターフェイスの方が言っていた言葉が頭に残っている。

私は農業貢献や海外を目指す学生みんなに伝えたい。
開発しなければならないのは、なにも開発途上国だけではないのだ。
十島村のような隔離された地域もこの日本に未だ存在するのだ。

この紀行記を通じて一人でも多くの仲間が途上国だけではなく、
偏見を持たずにあらゆる地域に興味を持ってくれればと思う。
そして人間とは――自然の揺りかごの中にいるのだということを。


(おわり)

| トカラ列島 | 12:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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